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本音と建前、というが、建前と本音を一致させること、あるいは主義主張や原理原則を実際の行動でもしっかりと守ること(言動一致)は、美しいと思うし、私も本質的にはそういうタイプ(原理主義者)なのだが、実際のところ難しい。
現実というのは建前(原理原則)と違ってコロコロ変わる。とりわけ世の中の有為転変がこれだけ激しい時代において、原理原則はすぐに古くなって現実に合わなくなってしまう。だとしたら、原理原則を実際の現実に適合すべきだ、とかように原理主義者の私は考えるのだが、言うは易く行うは難しで、原理原則を替えることは恐ろしいほどの抵抗をもたらす。 というのも、人間は本質としては、慣性の法則じゃないが、変わりたくはないのだ。朝令暮改が常に悪い意味で使われてきたのも、朝良しとされたことが夕方に悪いとされたんじゃ不安定で身が持たない。たいていの人は時代の波にのってすいすい変わるなんてことはできない。変化というのは良き方向への変化ですら、その過程は原則ストレスなのだ。私たちの多くは時代の波に流されない、しっかりとした杭を必要としていて、そういうものを持っている人(信仰心のあつい人だの筋金入りのマルクス主義者だの)が人間として安定した感じがあるのはそういう杭に自分がしっかりつながれていて、原理原則を持たないワカメのごとき人々と違って波間でもみくちゃにされていないからだろう。 従って、その杭は波にあわせて、あちらこちらに場所を変えてもらっては困るのだ。聖書やコーランが時代にあわせてバージョンアップなどせずに、ずーっと同じテキストを使っているのはそういうことである。普遍的なのだから、バージョンアップは必要ない、杭を替える必要はないというわけで、しかし必ず起こる現実とのずれはどうしているのかというと、「解釈」をかえているのだ。 日本国憲法もそうで、現実とのずれ(9条と自衛隊の関係)は「解釈」でかえている。そしてまた、「解釈」も一つの杭となっていく。「解釈」というのは原理原則とのずれを時代の「良識」で埋めているものともいえ、多くの人々から支持された「解釈」=良識であれ、それを覆そうとするのもまた、異端であり、不安定さをもたらす要因となる。要するに原理原則は解釈という良識の補助輪で動いているのであり、別の補助輪を持って来たり補助輪をとっぱずそうとしたりするのはやはり世の中に軋みや人心にストレスをもたらすことになる。 とはいえ、憲法は聖典じゃあないんだから、本来はバージョンアップして全く問題ないはずなんである。私自身は原理原則でいえば、9条を文字通りに解釈し自衛隊をなくすか、あるいは自衛隊を軍隊として認め憲法を変えるかどっちかだろうと思うのだが(現実的には自衛隊を軍隊として認めることになるだろう)、しかしそれがもたらすことの害のほうが大きいような気もしてならない。筋通す後ろは屍が累々ということは歴史が証明している。
by akapopula
| 2015-11-21 11:23
| ぐだぐだ
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